海のいろ

尾野会厘(句歴2年目)。天草(熊本)の俳句を作っています。「鷹」会員、「奎」同人。詩吟と漢詩はかれこれ20年以上

梅の花の漢詩(林逋)

今日すごい漢詩に出会ったからここにメモ。

 当時の常識を覆す表現、清廉さ。梅の花の美しさを詠んだ詩です。

 

山園小梅二首   其一       林逋(北宋)

衆芳搖落獨暄妍

占盡風情向小園

疎影横斜水清浅

暗香浮動月黄昏

霜禽欲下先偸眼

粉蝶如知合斷魂

幸有微吟可相狎

不須檀板與金尊

 

ー書き下し文ー

衆芳揺落(しゅうほうようらく)せしに独り暄妍(けんけん)たり

風情(ふうじょう)を占め尽くして小園(しょうえん)に向こう

疎影(そえい)横斜(おうしゃ)水(みず)清浅(せいせん)

暗香(あんこう)浮動(ふどう)月(つき)黄昏(こうこん)

霜禽(そうきん)下(くだ)らんと欲して先ず眼を偸(ぬす)み

粉蝶(ふんちょう)如(も)し知らば合(まさ)に魂断ゆべし

幸いに微吟の相(あ)い狎(な)る可き有り

須(もち)いず檀板(だんぱん)と金尊(きんそん)とを

 

ー意味ー

花々が萎んで落ちてしまっているこの時に、一人暖かく麗しい。小さな庭で、その情趣を独り占めしている。まばらな梅の影が斜めに突き出て、水の流れは清く浅い。いずこからともなく梅の花の香は漂って来て、月は今にも沈みそうで薄暗い。寒気を冒して飛ぶ鳥は、枝に降りようとして真っ先に梅の花をこっそり見ずにはいられない。もし今白い蝶が出てきて、この梅の花の咲いている様を知ったならば、きっと魂が絶たれるほどに愛しい思いを抱くだろう。幸いなことにこの梅の花は小声で詩を歌いながら愛でることができる。楽器や酒樽を持ち出して飲めや歌えの騒ぎなどするには及ばないのだ(小声で詩を歌いながら梅の花を愛でる方がはるかに良いのだ)。

 

 この詩は七言律詩で、韻は園、昏、魂、尊。梅の花の名吟中の名吟です。特に頷聯(3-4行目)はとても有名で、その中でも「疎影」、「暗香」といえば梅の花を指すようになったほど。

 作者は北宋の詩人林逋(りんぽ、967-1028)。杭州(現在の浙江省)出身。日本では林和靖(りんなせい)の名で知られています。病弱で妻を娶らず、後半生は杭州の山から一歩も出なかったにも関わらず、存命当時から名声が轟いていました。庭に梅を植え、鶴を飼ってそれはそれは可愛がっていたので、「梅妻鶴子(梅を妻とし鶴を子とする)」と呼ばれました。そんな林逋が詩に込めた梅の花への思いは、想像できないほど深いはずです。

 かの王安石(おうあんせき、1021-1086、北宋の詩人。政治家、思想家、文筆家でもあり、その全方面で歴史に名を残しためちゃくちゃすごい人。中国のダヴィンチみたいな人。唐宋八大家の一人。代表作に「鐘山即事(しょうざんそくじ)」や、高啓(こうけい、1336-1374、明の詩人。呉中の四傑の一人。皇帝批判の罪により若くして死罪となったが、日本では江戸、明治時代によく詩が読まれた。代表作に「尋胡隠君尋(こいんくんをたずぬ」。)などもこの詩を意識したような、本歌取りのような詩を残していますし、というか林逋以後の詩人が梅の花の詩を詠む時には必ず皆この詩を頭に置いて作ったほど後世への影響が大きいです。

 

 漢詩と出会って20年以上になるのに、今まで知らなかったのが不思議です(ただの不勉強)。しかし今知ることができてよかったです。10代ー20代の頃は梅の花を見たことなどなかったように思いますから。

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